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インタビューシリーズ第1回
作家 山崎洋子さん



空手のおかげで、今までできないと思っていたことができるという発見がうれしい。[インタビューを見る]
こんな小説みたいなひどい境遇に私が生まれ育ったというのは、必ず小説みたいな大どんでんがあるに違いない
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病気になったり嫌なことがあっても、その中でも面白いことを見つけてそれを楽しめるかどうか。 [インタビューを見る]
野毛大道芝居で利害関係のない人たちと知り合い、そこから大きく変わった。 [インタビューを見る]


プロフィール

1947年 京都府宮津市生まれ。 コピーライター、児童書、脚本家 を経て小説家に。 1986年「花園の迷宮」(講談社)で 第32回江戸川乱歩賞を受賞。 「熱月(テルミドール)」(講談社)、 「横浜秘色歌留多」(講談社)、 「熱帯夜」(新潮社)、 「吸血鬼たちの聖夜」(文芸春秋)、 「天使はブルースを歌う」(毎日新 聞社)他、エッセイ、ノンフィクショ ンなど。
近年は舞台の脚本演出 も手がける。最新刊「ヴィーナスゴールド」(毎日新聞社)。


公式サイト 冬桃宮








インタビューを終えて:
 山崎さんと知り合ったのは数年前のこと。作品はもちろんその優しいお人柄に、いっぺんでファンになってしまいました。「元気人登場」の第1回ゲストはぜひ山崎さんにお願いしたいと思いました。大変なご苦労があったのに、負けずに夢を持ち続け、しかもそんなご苦労をまったく感じさせない山崎さんのお話に、元気に生きるヒントをいただいたように思います。 

 インタビュー当日の夜は、「NPOハマには浜を!」のテーマソング発表会が横浜スタジアム近くのライブハウスでありました。山崎さんは横浜に砂浜を取り戻そうというNPOの理事長でもあり、テーマソングの作詞も手がけていらっしゃいます。とても素敵な歌詞なのでみなさんにぜひ聴いていただきたいテーマソングです。

 お話は横浜のJR関内駅の近くにある「燦星庵(さんせいあん)」という焼肉店でうかがいました。土曜の午後の開店する前の時間帯をお借りしたため、残念ながらこの日山崎さんと焼き肉をご一緒することができませんでした。山崎さん、また楽しい横浜のお話を聞かせて下さいね。今度は焼き肉をいただきながら。




  空手のおかげで、今までできないと思っていたことができるという発見がうれしい。

空手は週三回行けるといいんだけれど、道場がちょっと遠いんです。片道一時間かかるし、それにどうしても用事が入ってしまうので、週一回行くのが関の山なんです。間を置くとだめですよ、久しぶりに行ったときに怖くて。

私は運動大嫌いで、なにやってもだめだったんですよ。ヨガも一回でやめて、社交ダンスも三回行ってやめて。空手は精神性とか型の美しさに昔からあこがれていて、見学に行ったら楚々とした女の人が胴着に着替えて黒帯しめて、「わあ、かっこいい」と思ってしまって、すぐその場で入門してからもう一年以上です。

行くと違います。運動はまったく何年もしていないわけだから、最初は疲れちゃって足はつるし、疲れすぎて眠れなくてひどかったけど、だんだん週に一回よりも二回行った時の方が調子いいし、なによりも二時間近くの空手のお稽古にちゃんと体がもっているというのが、すごい自信に結びつくんですよ。「まだこんな事ができるんだ」って。

実践では絶対強くはなれないんですけどね。ポンと当たっただけで痛いんですよ。男の人なんか骨も強いし、若い人にちょっとよけられてポンと当たっただけで、痛い。

極真なんですよ。フルコンタクトで、めったにそんなことはやらないんですけど、スパーリングといって、組になってやるのありますでしょ。指導員が「山崎さんには絶対当てないように」って、当てないんですけど。私の方からは当てていいわけです。でも、ちゃんとにぎって当てるべき所にあてないから、手首が痛い。このへんあざになったりとか。まだ骨が折れてないだけマシですよ。
◇◇◇

空手の先生はやさしいです。あの指導員だからよかったんです。昔は極真なんかは大の男が練習終わったら立てないぐらい大変だったらしいですけど、今はそんなことなくて。特にうちの指導員は一人一人に対する目配り、気配りがとっても親切でね。ちゃんと褒めてくれるんですよ。きちんと生徒に対しても敬語で話されるんです。何遍言ったって覚えられなくてどうしようもなくてね。「山崎さん良くなりましたよ」と言って下さるんで、「ああ、良かった」と思って・・・。

最初は白帯の者は白帯だけでやるのかなと思ったんです。そうじゃないんです。白帯の者も黒帯の有段者と一緒に、必ず同じ基礎をやるんですよね。だから気持ちがいいですよ。黒帯の人と一緒にやってるんだという気持ちがね。先輩方はみんな礼儀正しいですし、いいですよ。

私ぐらいの年齢で、しかも女でね、過去に運動をいっさいやったことのない者が入ってくるのはまず珍しいと思うんですけど。そこは「中高年からでもやれますよ」「いくつからでも運動はやった時からが勝ちです」という道場で。若い人には指導員が、「空手をやるのは喧嘩に強くなるためじゃなくて、なにか事があったとき冷静になるためにやるんですよ」と訓話を必ず付け加えて下さる。いいですよ。非常に精神性があって。

レベルの高い者とレベルの低い者が組んだときはきちんと手加減してくれるんです。そこはなんとかうまくやれるんです。黒帯の人とか茶帯の人とか強い人同士でやる時は、それはもうすごいですよ、よくまあだいじょうぶだと思うぐらい。
◇◇◇

準備運動もちゃんとします。呼吸法、きちっと呼吸するというのを習うんです。私は呼吸がヘタでね。特に口呼吸がまったくできなかったんです。それで海に潜ってみたくても、あれは口で呼吸をしなくちゃいけないでしょ。だから絶対ダメだと思っていたんですよ。空手道場で「きちんと吐きます」というのを習ったおかげで石垣島へ行って体験ダイビングして。こんな年になってから、いろいろ今までできないと思っていたことができるという発見がうれしいですよね、空手のおかげで。

元気に見られがちでね。3人ぐらいのお医者さんからも虚弱体質といわれて、お墨付きなんです。血液検査をしますとね、白血球が異常に少ないんです。免疫力があんまりないということですよね。その割にここ何年間風邪もひかずにやっていますけど。

だから若い頃と比べて体力が落ちたな、という気がしないんですよ。というのは、若い頃からすぐ疲れるほうだったんです。ものすごく疲れやすいんです。今も同じ。もともとこうだから。

肝臓で倒れた事があります。小説家になって10年ぐらい経った頃、ものすごく仕事に追われて、趣味もなにもできない。ひたすらとにかく書いて、仕事しかしてなかった時があって。だから、たぶん気持ちが行き詰まっていたんですね。
◇◇◇

その時にバリ島へ行ったんですけど、暑い所で暑い日射しを受けて、帰ってきたら脱水症状になってしまって。ちょうどその頃バリ島で日本人だけがコレラになって話題になったことがありましたでしょ。これはコレラだと思って、お医者さんに行ったら「コレラではない」って言われて。肝臓の数値がよくなくて、その程度でぴんぴんしている人もいるんですけど、私の場合は脱水状態になって即入院したんですよ。ストレスと疲労だったんです。

そこから仕事を減らさざるを得なくて、その頃、うちのダンナがガンで倒れて。まだ私も体が本物じゃなかったんですけど、あの数年間はほんとにひどかったですね。ちょうどその頃、毎日新聞社の方から小説の注文があったんです。「書けない」って言ったんですね、なにも頭から出てこないし。そしたらその方が「じゃあ、ノンフィクション書いてみましょうか」と親切にそう言って下さって、書いたのが『天使はブルースを歌う』です。


好奇心を広げていると、なにかしら向こうからやってくる。

その頃、結局書けなかった仕事があったり、連載はしたものの、自分でもこれはめちゃめちゃだと思って、なかなか本にしていただけないこのご時世に「悪いけど本にしないで下さい」と言ったのが2〜3冊あって。むこうは連載させるというのは本にするからですよね。そっぽ向かれてしまいました。本当にそれはつらい時期でしたけども、どうしようもないですよね。フリーはその時本当につらい仕事だと思って。これからどうなるのかな、死んだ方がマシかぐらい思いました、その時は。

それでもやっぱり元気になるっていうのは、ものすごく好奇心が強いんですよ。死のうかなと思っても一つ面白いことがおきると、「どれどれどれ」と見に行かずにはいられなかった。そうやって好奇心を広げてて、おもしろがって本を読んだり、横浜の事でも、『天使はブルースを歌う』でも、ここにこんな墓地があってなんて好奇心を広げていると、なにかしら向こうからやってくるもんなのです。

それでお芝居を書かないかと話があって、ついに今年は演出までやってしまいました※。こうやって、「ああ、捨てる神あれば拾う神ありだな」と思ってやっているんです。好奇心は私の唯一の取り柄かな、と思うんです。

※一人芝居「ぼけの頑張り」脚本、演出・山崎洋子 主演・小川幾多郎